2007年04月06日

大野勝彦さん

























大野勝彦さん。
  昭和19年   生まれ。
  平成元年   農作業中に両腕切断
  平成2年   1年間書きしたためた詩を「両手への讃歌」として自費出版
  平成15年  南阿蘇村に「風の丘 阿蘇大野勝彦美術館」開設
  すでに10万人以上の方が訪問。

美術館開設までには、平成3年熊本現代詩新人賞受賞、などを受賞。
全国で講演会活動を実施。

大野さんは、45歳のとき両腕を失いました。

大型農機具の清掃中に機械に巻き込まれてしまいました。
そのとき、機械操作がわからない母親に向って「止めて、助けて」と叫んだ。

機械に飲み込まれていく、叫ぶわが子を前に母は何もすることができずただうろたえていただけでした。
母は、どんな思いで見ていたのだろう。

病院で、「あの時なぜ止めてくれなかったんだ!」

といっても、操作のわからない母はその時としては何もできなかったのです。ただ、涙することしかできません。

母は
「私が、あの時スイッチを止めてやれば息子は両腕を切らんでも良かった。代われるものなら代わりたい!」
が口癖になってしまった。

今まで、地域のリーダー、家族の大黒柱であった自分はずいぶん大柄な性格だったようでした。

しかし、両腕を失った代償として、人への思いやり、家族の愛に囲まれて生きている自分がわかった。
今まで、絵など書いたことがない自分は、自分の思いを「絵と書」に託し書き続けたそうです。

とても気持ちが伝わるものです。
私が、話をしても間接的であり思うように伝えられません。

ぜひ、九州に行ったときは、「風の丘 大野勝彦阿蘇美術館」へ足を運んでください。

私は、大野さんと何かで繋がっているのではという思いがとてもしています。
なぜなら、2年前に独立開業したときに、大阪で私が講演会をしたときに知り合った熊本の公認会計士の先生より、「夢は叶う 思い強ければ」と書かれた絵が送られてきたのがきっかけです。
何の絵かわからなかったのですが、見ているとパワーを感じ、早速事務所の中心に飾りました。

同封された、本を読み、何度涙したことか。

そのうち、時間がたち、昨年秋 たけしのアンビリーバブル をボーっと見ていると、なんとなく聞いたような内容だと思っていたところ、やはり大野先生のことでした。
その後すぐに、静岡新聞に「常葉学園40周年記念」の企画として浜松にて大野先生の講演があること知り、早速いきました。
それが、初めての対面でした。
今年2月、中伊豆地区のエリア活性化事業の視察として、黒川温泉に行く途中に「大野勝彦 美術館」にみんなで行きました。
その日は偶然にご本人もいらっしゃり、お話を直接伺うことができました。
購入した本に私の似顔絵を書いてもらいました。

家宝として大切にします。

最近いろいろな事件があるなか、大野さんのような方の「人間愛」について生活の場・教育の場で教えて行くことが大切だとつくづく思っています。



Posted by A.S. at 10:28│Comments(0)
 
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